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悩みなし!ストレスなし!アラサー女のテキトー日記

言いたい事はハッキリ言いサバサバした “男” みたいな性格の私と生涯を共に歩みたいというチャレンジャー君が現れた!!   2009年1月に結婚。旦那さんとのhappy life日記です!

会社も終わりゆっくりした1日を過ごした20時頃


トイレに行って自分的にはすっきりしてるのにまだ尿が出てるので
(あれ?)っと思って覗いたら血だった・・・


ビックリして旦那さんを呼び「血が止まらない!!」と言った


産婦人科の電話番号が書いてる書類がある場所を旦那さんに伝えるが
分かるかな?と思いとりあえずトイレを出る事にしました。
すぐ出血も止まると思ってたのでトイレットペーパーを丸めて股に挟んで応急処置(笑)

リビングに入った瞬間ドバドバと大量出血

取り込んでまだたたんでなかった洗濯物の中のバスタオルが見えたので
旦那さんに取ってもらい股を押さえたがすぐバスタオルでは吸収できず
リビングのフローリングに血が落ちた

急いで風呂場に行きドバドバ出てくる血を見ながらも(落ち着け~)と自分に言い聞かす
が出血量がすご過ぎて貧血状態になりフラフラしてくる
旦那さんに母子手帳と入院の時に必要な産婦人科の書類のある場所を伝え
ペットシートをナプキン代わりにしパンツをはいて玄関まで歩くだけで
景色がぐるぐる回ってしまい座り込む私。

家の電気もつけっぱなしで玄関の鍵もしないまま病院に向かいました

旦那さんもテキパキ動いてくれて出血が始まってから家を出るまで10分もなかったと思います

病院までは10分もかからないのですぐ着いたが自分で歩く事もできなくなり
旦那さんが病院の人を呼びに行ってくれました。
病院の入り口で座って待ってるとおばさんが近寄って来た。
どうやらここの看護婦さんみたいで「赤ちゃんに酸素を送らないといけないので深呼吸しましょ」
と一緒に深呼吸してくれました

すぐ車椅子を持った看護婦さんと旦那さんの姿は覚えてるけど
これから先の記憶は途切れ途切れしかありません。

気づけば分娩室で洋服を脱がされてました

「赤ちゃんは生きてますか?」

「心音ははっきりしてるから大丈夫よ」

「たぶん大きな病院に行く事になると思います」


こんな会話をしたのと点滴用の針を刺される時(痛い)と思ったのは覚えてますが
産婦人科の記憶はこれだけです


後で旦那さんに聞いたら出血量がすごいからお母さんも危ないと先生から言われたそうです


搬送先の病院もすぐ決まり救急車で移動です
救急車に乗った記憶はないけど(救急車の中ってこうなってるんや~)と思いながら見てたのは覚えてます。
通ってた産婦人科の先生も一緒に行ってくれ症状の説明をしてくれたので
手術までの時間が少なくてすんだのもベビさんと私が無事だった理由の一つかもしれません


病院の処置室に入ったら4.5人の先生や看護婦さんが一気に手術の準備に取り掛かってました
手術するのに血液検査が必要なのか採血をされるが血が出てこないようでした

「あとちょっとやねんけどなぁ」

「あかん!ここも出てこん」
とか言いながら腕の血管にブサブサ針を刺されて痛かったです(>_<)

「採血まだかぁ?お母さんの顔色も悪いから早くしないと」
先生が言ったこの言葉でベビさんが生きてくれてるか心配でたまりませんでした


手術室に運ばれる記憶はないけど手術室がすごく寒かったのは覚えてます

旦那さんに聞いたら1時間くらいでベビさんが出てきて
その後2時間半後くらいで私が出てきたようです
PM9:54ベビさん誕生!!

麻酔からさめて旦那さんと話したのはなんとなく覚えてますが
何を話したのかは覚えてません。


突然の事でビックリしましたがただただベビさんが生きてくれてる事だけを祈ってました
旦那さんもかなり心配したと思います
いつも元気な私がぐったりしてるんだもん(笑)
全ての事にすばやく冷静に対応してくれてありがとう



胎盤剥離でした
血圧が高い人がなりやすいようですが私は普通でした
胎盤の裏に血の塊があったようですが
産婦人科の検診の時のエコーには映らなかったとの事でした
今回このようになったのは原因不明です

退院後通ってた産婦人科に行き先生と話ししました
大阪府で私のような救急患者を受け入れれる病院は10件以下
今回は3件目で受け入れ先の病院が見つかりましたが
全て受け入れ拒否される場合もなくはないとの事でした
(受け入れ人数の空きがない、先生不在等)
胎盤も剥がれかけてたようでベビさんも危険な状態だったようです


今、ベビさんを見るだけで涙が出そうになります
ベビさんも頑張ったもんね
生きててくれてありがとう






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